1日休暇をとり例によって恵比寿白金界隈散歩。
◆龍天門でウイークデイランチ。
メニューでの名前は魚貝と野菜となんとか、とか書いてあったが要は八宝菜。
雑味のない薄味、アスパラの歯ごたえ絶妙、で、ほんとうにおいしかった。元気でた。
この、人に元気を与える、ということは、簡単なことではない。庄子さやかさんとか、今日の龍天門とか、たいしたものだ、とつくづく思う。
あと、品、ですね。品などというとなんだ気障なこといいやがって、と他ならぬ当方が思う。あの店は上品でどうのこうの、というやつは、だいきらいだ。
そういう私が、他にことばがみつからなくて、「品」などという言葉を口走る今日日、この国はどうなってるんだ、などと人のせいにしてどうする。
まあ、その、品です。
元気がでることと、一定の、その節度とかおだやかさとか静かなかんじとか、控えめとか、まあ、そういうかんじ。
平日なので、客層も、普通にホテルに来る人々。自然光。店の人の、ふつうに親切なかんじ。
元気すこしでた。
◆ラボエムで「ゆっくりランチ」
昼飯二連ちゃん。ここは、元気は、まあ、でる。品は、期待してはいけない。内容はお得。
◆プルートウ最終巻
目黒の有憐堂で買う。
最終巻、には、ちょっとびっくり。
例によっていろんな伏線が張ってあって、20巻ぐらいはいくだろうとおもっていたら。
帰ってざっと読むと、予想どおり、あわただしい展開。ほとんど筋に絵をあてはめました、というかんじ。
当初から、この巻で終わるはずだったのか。
哀しみ、心の痛み、それをつつむ暖かい心。人とロボット。このロボットというのは、ある地域で不当に差別されている人とか、その他、マイノリティ全般の象徴のような、この物語では位置づけ。
争いはよくない。平和は尊い。
というような、なんというか正面から面を打ちすえるようなテーマ。しかもそれが一貫してむきだし。
泣く、ということが重要だ。人の温かい感情の発露の象徴。
「ロボットなのに、なんで涙が・・・」的なシーンが全巻の中で何か所あるか、好事家が、きっとそのうち調べてくれるだろう。
すれっからしには、ちょっと、きつい。
手塚はもっと屈折してるよ。
たぶん、「プロデュース」した人の趣味というか、構想をそのまま絵にしました、ということなのではないかしら。どういう制作過程かはしらないが。
◆今日休んだのは、休まないとぶったおれるからで、少なくとも体は、相当きつい。感情だの気持だの体じゃないところが参ってるかどうかは、どうだかわからんよ。
という環境でこういうものを読むと。
平素、当方をとりまく環境は結構過酷だ。ホッブスが泣いて喜ぶ万人の万人に対する闘争状態。むきだし。
それがいい悪いということではない。環境は所与のものだ。あるいみいさぎよい、わかりやすい。
むしろ、その中にいて、人間の温かさだの、同情だの涙だの、ちょっとかんべんしてほしいのよ。
いや、その種のテーマが、なんというか人形町明治座で、演舞場でもいいが、ロングランするための大事な武器であることは否定しない。カタルシスはおおいにつかってくれ。どうでもいいが。
そうではなく、それだとバランスとれないじゃないですか、ということ。
人間は邪悪なところもあれば崇高でもある。これ、両方、ものさしがあってそれではかったものでしょう。
当方は、人間をはかるとき、気高い、せこい(じゃないか、気高いの反対語は、知らんよ)というものさしは採用しない。どっちもどっちだと思う。
きつくなるだけよ、二分してそれに価値をあてはめると。
というより、人間の属性についてあれこれいじくりまわすこと自体、浪費ではないか。
もっと森羅万象あれこれ思いまどうべきことがあるんではないかね。
たまたま朝起きてから夜寝るまで人に囲まれて生活しているが、ほんとに大事なことは人と人のこと、なんですか、自分も含めて。
浦沢さんの漫画が、当方の虫の居所と相まって、少し書生論を展開してしまった。
たぶん、これからの当方、その、浪費しないでまっしぐら、という方向に舵を切れるか、この一両年慎重にやっていくということになるだろうね。
他人事だけど。自分のことではあるのだが、これからどうする、については、極力、そのときそのときの流れに従いたい。
従いたいが、流れは次第にはっきりしてきたような自覚は、すこしある。
今日は、休みなので、少し書きました。