啓発舎

マジすか? マジすよ

書生論

先週の金曜日、今日(きのうか)と立て続けに門前仲町で飲んでいる。いま、一番安らぐ街。
となりの親父二人組は、でかい声で職場のあれこれについて悲憤慷慨している。ほっとする景色。
たとえば、当方の9時5時の世界には、こういうことが、ない。事実を所与のものとして受け容れ、個人は、それぞれ自分の周りに壁をめぐらせ、たてこもっている。自分を守るのは自分だけだ。環境について怒りさえうかばない。そのエネルギーは、無駄だし陳腐なだけだから。
組織は、殊更に、みんなで、とか、助け合って、とか呼号している。人と人の親和力に由来する自然な結びつきが、その、互いが互いをひきあう力が枯渇している、これは、証左ですね。
不可逆ということばがあるが、この言葉がぴったり。もう後戻りはできないと思う。
個人はどこに向かうか。
数少ない、引き合える人との結びつきが強固になっていくのか。
酒に呑まれた頭に、この年にしてなんだか青臭い書生論のような断片があれこれ去来する。こっぱずかしい。

いま、なにかと身辺に雑事が多い。バランスをとるということ、それだけだ。桜が咲く頃には、諸々が、おさまるところに収束しているはず。
なにはともあれ、やっていく、ということ。