新年あけましておめでとうございます。
というわけで、たった今、NHKの年越し番組を見終わったところ。お腹一杯です。堪能しました。
この国の世界の文化を受容する水準は、ある種の閾値を超えたのではないか、とこのところ感ずるところがあったのだが、その意を強くした。これは達成ですから、続きます。
番組では、特に、以下が凄かった。
「ディファレント・トレインズ 抜粋」 スティーブ・ライヒ作曲
(弦楽四重奏)ストリング・クヮルテット・アルコ
「世の終わりのための四重奏曲 抜粋」 メシアン作曲
(バイオリン)堀米ゆず子
(チェロ)工藤すみれ
(クラリネット)チャールズ・ナイディック
(ピアノ)野平 一郎
「バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35から 第3楽章」
チャイコフスキー作曲
(バイオリン)庄司紗矢香
(管弦楽)サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
(指揮)ユーリ・テミルカノフ
「交響曲 第5番 ホ短調 作品64から 第4楽章」
チャイコフスキー作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)リッカルド・ムーティ
このうちライヒの「ディファレント・トレインズ」は初めて聴く。視覚的効果もあるから、見るといったほうがいいかもしれない。
若手の腕っこきが、重いテーマに、真摯に、はりつめた緊張感で取り組んでいた。
パーカッシヴな弦のドライヴ感。
世の終わりのための四重奏曲
期せずして、か、狙ってかは知らないが、ライヒとテーマが合い通じるところがある。
メシアンは、いいな。テーマは重いがおフランス。均衡、洗練の伝統はどうしてもでてしまう。
いずれの曲も曲想がシリアスなだけに、のめりこまない客観性がどうしても必要。
一歩引いた冷静さから、自ずから情念は立ち上る。
言語化されないレベルでのインパクトがある。
この二曲の演奏には、いずれもそれがあった。
特筆すべきは野平氏のピアノ。
庄司紗矢香のヴァイオリンは、なんていったらいいんだろう、音の粒立ちが全然違うという感じがする、テレビだが。
以前、ショスタコのコンチェルトをやっていて、この若さ、というかあどけなさで一癖も二癖もあるこの屈折したおじさんの曲をと、舌を巻いた記憶がある、テレビだが。
そこへいくと、今回のチャイコは曲がおおらか、自由闊達、存分に技巧を発揮して天晴れでした。
ヴァイオリンはちょっと、というところが、当方あるのだが、この人のリサイタルは行きたい。
ムーティーはあいかわらずだな。この人の棒は、なんか、軍隊、というかんじがすることがあるが、今回はそれがいい方向で発揮された。まあチャイ5だしな。
新年の抱負は、とくにありません。
今年は、自然体。
東京という街は、楽しみが多くて、なかなか、しん、と静まることが難しい。
街が自分の体の延長にあるというかんじ。
それならそれでいいじゃないか。
自分の中のあらゆることが自ずから単純を目指しているという自覚、手応えは、このところ感じる、なしくずし的に。
この流れに身を任せるだけ。他人事のようだが。