京都観世会四月例会。
番組は以下。
◆嵐山
◆寝音曲(狂言)
◆百萬
◆野守
当方にとって、能は、まず第一に、音楽です。
お囃子、それと地謡。
今日も、一日、浸ってきました。
嵐山。
特に、中入後。
男の神様と女の神様が、仲良く舞います。
これが、なんとも晴れやかで、みていて心地よい。
で、舞い終わると、蔵王権現の乱入、となるのだが、これを誘い込むように盛り上がるお囃子が、ちょっと凄かった。
百萬。
間が、「ざーまみー、ざーまみー」(と聞える)などと呼ばわっていると、シテが例の調子でおごそかに立ち現われ、間合いをつめたとおもいきや、後ろから、手にした笹の葉で、間をはたくんですね。
「なにやってまんねん」という感じ。
虚を突かれた。で、虚を突かれたときの法則どおり、体が、笑いという動作で反応した。
まわりは、水を打ったようにしずかだ。
なぜ、ここで観客から笑いがでないか。
能は厳粛にみるもの、というお約束のせいか。
当方が、不真面目なだけか。
野守
後シテの舞いもさることながら、べしみの面、迫力ありました。顔が、でかいよ。
なんというか、ドスの効いた時間の流れ。
トーンクラスター状態。
酔いました。
人為により時空を領する場に立ち会うということ。当方にとって、能を観る、ということの、これが、本質。
今日は、終日、時間の流れ、空間の広がりを堪能した。
寺町通りの進々堂でお茶。
ここで、本一冊読みきった。
今朝、でかけに駅の本屋で買った岩波新書。
凄い本だ。