啓発舎

マジすか? マジすよ

日永にて

 今月は2日の日曜日に東京から戻って以来、週末どこへも出かけず篭城状態だ。
今年の冬は、気象庁によると平年並みとのことだが、このところの暖冬になれているせいか、寒く感じられた。
 そのわりには、結構まめに京都あたりに出かけて、そういえば、よく夕暮れの四条界隈を、背中をまるめてとぼとぼ歩いていたな、となんだか他人事のように思い出す。

 春先の外出はすこし億劫だ。
 気候も、人も、なんだか不安定。
  
 このところ、自分という環境が結構居心地がいい、ということもあるかもしれない。

 自足していれば余計なことをする必要がない、というのは、そもそも自足という言葉自体が自ら足るということであってみれば、当然のことだ。

 吾唯だ足るを知る というのは、龍安寺の蹲のことば遊び(口が共通のよっつのことばを配置する意匠)だが、禅語は食わず嫌いの当方にも、このシャレは少し面白い。

 なつかしい、というかんじ、うつろう、というかんじ、ゆらぐ、そよぐしずかさ、というかんじ。時間、空間がしずまり、ひろがるかんじ。およそ、閑、ということばが表すあらゆるニュアンスが去来する。