適当にニュースを検索していたら、以下の記事に目がとまり、ある感慨を覚えたので、書く。
以下、少しだけ記事を引用。
「大阪広告協会は6日、第51回協会賞に江崎グリコの江崎勝久社長を選んだ。江崎グリコが、大阪・道頓堀に掲げた「ランナー」のネオン看板が、大阪の象徴的役割を果たしていることなどを評価。江崎社長が同協会で92年から07年まで理事長も務めており、大阪の広告界をリードしてきたことも考慮された。」
以上。
あの看板が「大阪の象徴的な役割」でいいのか、なんでいまになってあれを表彰するのか、など、記事への突込みどころはいくらでもあるのだが、この際それは措く。
看板自体は、こちらに来た当初、04年の10月だが、一度だけあの辺りを徘徊したことがあって見たことは見たのだが、別段なんとも思わなかった。客のリクエストで出かけたのだが、その言い出しっぺが、人のエネルギーに圧倒されてものの2〜30分で「帰ろうよ」と。当方も全く異議なく早々に退散して、それ以来、あのあたりを含めなにわの繁華街には足を踏み入れていない。
看板そのものはどうでもいい、あの意匠から一挙にアーティスト秋山祐徳太子に思いが飛翔したのがこの記事の急所なのであった、当方にとっては。
銀座の歩行者天国で目撃した、あの格好でバンザイしながら街を走り回るパフォーマンス。あの衝撃は忘れない。
確か都知事選の選挙運動の一環であったようだった。
「私は都市を芸術する」「フィーバー秋山」などのキャッチもいまなお鮮烈だ。
いま、どうしているだろう、達者だろうか、特に知り合いでもないのだが。
それにしても、あのころ面白かった。
オ○マ(オバマじゃないぞ)に市民権を、とか、シェキナベイビーとか、きっちりNHKが放送してたよな。
妙に冷静なアナウンサーの前振りも、効果だしてたし。
早朝放送するのもシュールだった。
ああいう、泡沫候補のとことん笑える徹底的な無意味さ、それを大枚かけて公がアシストする、そいういパフォーマンスが最近見られないような気がするのは、単なる当方の認識不足か。
あるいは、いくら言論の自由とはいっても、ということで一定の規制がかかっているのだろうか。
それは、きょうび、やむをえないかもしれない。
しかし。
昔、駒場の自治会の選挙で、当方の同窓生が「駒場全体をドームにして雨でも遊べるようにする」「駒場から本郷まで地下鉄を通す」という二大公約で、民青対革マルのマンネリ選挙に一石を投じた(善戦した)ことがあった記憶があるが、そういう刺激はあってもいい、ような気もする。
スリリングな泡沫候補よ出でよ!
と私はいいたい。
どうでもいいか。
昔はよかったの繰り言じゃ。わしも年じゃな。