徒然なるままに。
◆久しぶりにモンテーニュを手にとってみる。
話のわかるおじさんだ。
辟易、とか諦観とかいう言葉がうかび、共感。
この、辟易の感覚は洋の東西を問わないな。
辟易する、という、ある、生理的な感覚。快感にちかい。
諦観も、そうだ。落下した挙句に、やっと足許に硬い地盤を感じたときの安堵の気分。
そういう気分を手玉にとって塔に篭もっていたモンテーニュおやじは、決してストイックではない。ストア派というよりエピクロスだ、快楽主義者だ。
この人と、ヴォルテール。当方がマークするフランス人は。
煮ても焼いても食えない、というのが共通項。
◆時事ネタは好きではないのだが、船場吉兆の女将の記者会見にだけは言及しないわけにはいかない。
会見の場でも、横から息子に、白を切るよう振り付けをする女将。たじろぐ息子。
およそ人のなすことの滑稽と悲惨が、凝縮されている。文句なく笑える。
女将よ、いい仕事をした。褒める。これは皮肉ではない。
◆思文閣から、毎月分厚い墨蹟の資料目録が届くが、これが滅法面白い。
昔、バブルの頃、日経アートという、美術品を流通価格のみを価値基準にして掲載した雑誌があり定期購読をしていたが、その面白さに匹敵する。
流通する価格こそが価値だ、という姿勢。
応挙300万円、白隠100万円、仙涯50万円、とか。
宣長の軸は20万ぐらいですね。
もとより書いた人の価値を示す指標ではないが、なんだか面白い。
この前、良寛の書が120万ぐらい(だったと思う)で掲載されていて、すこしうずいた。
良寛の真筆がそのあたりにかけてあったら、拙宅もすこしは、もっともらしくなるか。
まあ、小林秀雄もだまされた、という良寛の書ですからね。
吉野秀雄に「いけねえ」とか言われて、日本刀で袈裟懸けに切り裂いた、とかいう逸話を、ほうぼうで読んだことがある。
谷岡ヤスジの任意のキャラを拡大して軸装することは考えたことがあるのだが。
「タベルーマン」なんか、いい味だしそうだ。
小人閑居して不善をなす・・・行動力もなく、ひたすら些事妄想す。