6日付け日経の春秋を読んで。
実は今日、ネットで読んだ、一日遅れ。
冒頭の一部が表示され、それをクリックするのだが、「吹き抜けの天井にはアーチが連なり、随所に凝った装飾が施されていた」とあり、やれやれ新丸ビルのよいしょかと思い(新丸ビルの1階もアーチ構造あり)本文を読むと、大違いだった。
三信ビルの取り壊しを惜しむ内容。
春秋子、えらい。気骨だ。
この人、冒頭の「つかみ」がときに鼻につくところがあるが、この時期、あえて新丸でなく、三信ビルを題材にするその意気やよし。
なんでも壊して新しくすればいいというものではない。
それがしも、三信ビルは大好きで、日比谷周辺を徘徊するときは、必ず立ち寄った。
ほの暗い空間、高い天井。
ただ、なかは確かに閑散としていて、旅行代理店の原色のパンフレットが、妙に目立っていた。
やり方次第で、可処分所得の多い階層をひっぱることもできたのではないか。
例えば、ここの1階にサバティーニあたり(トラットリアでもいい)あたりをもってきたら、あたしゃ毎週いくね。 タリーズでもいいや。或いは、三笠会館あたりに仕切らせたらどうか。と、今更言ってもはじまらないか。
ただレトロというだけではない、品格を感じる空間だった。
惜しい。
コラムでは、姿を消した名建築として、同潤会アパート、江東区の食糧ビル、銀座の交詢社ビルが挙げられているが、それぞれに、それがしも一家言ある。
特に、食糧ビルは、小学生のころ通っていた塾(その名も佐賀町塾といった)のすぐそばで、行き帰りに寄り道して中庭で遊んだものだった。
当時、あたりは殺風景な倉庫が並んでいたが、このビルには当時から不思議な匂いを感じた。
同潤会も、白河町にあった。
交詢社については、以前このブログでも書いた。
ピルゼンだけでなく、どうしても入れなかったあの、ステンドグラスのバーにも、マーキングしとくんだった、と後悔してももう遅い。
共通するのは、妖しさですね。
こういう感覚は、例えば新丸ビルではだせません。
まあ、新丸ビルも、姉御用達のメガネやがテナントではいっていてガキのころから母親に連れられて行っていたが、ここは、即物的といいますか、あまり潤いを感じられる建物ではなかったな。丸ビルもおなじ。
社会にでて、道路をはさんで向かいのビルが仕事場で、それこそ毎日昼飯に通ったが、丸ビルのときも今回も、別に壊して惜しいという感慨はありませんね。
このテーマ、またふくらますかもしれない。
まずは、三菱地所にしっぽを振らなかった(かんぐりすぎか)春秋子に拍手。