実は、12日の木曜日から、連夜帰宅は10時過ぎ。今夜も今しがた帰ったばかり。
木曜日はお茶の稽古、金曜お能、土曜花見、そして今日は歌舞伎(後述)、いずれも遊び、誰のせいでもない、自分が好き勝手やってるだけだ。
なんだか、楽しいぞ。
お能は「せぬひま」の公演。
花見は、海津大崎、ここは、なんでも、日本の桜名所100選にはいるところである、と。
いずれも、追ってこのブログに記す。
ビール、日本酒、ビールと酒もはいり、少し朦朧としているのですが、今日のことだけはどうしても書いておかないといけない。
長浜曳山まつり。
実は、おとといまで、そんな祭があることを知らなかった。
人の勧めで海津大崎に桜を見にいくことに決めたものの、わざわざ琵琶湖の北岸まで行って、そのまま帰るのもなんだから、どこか寄ろうと、ネットをいじくっていたら、発見、帰り道だし、覗いて見るか、と。軽い気持ち。
十一面観音という選択肢もあったのだが、仏像は、いま、気分ではない。
で、14日の土曜日、12台の山が全基勢揃いしている様を見て感動、あしたの子供歌舞伎はこんなもんじゃないわよ、との御婦人の言に、押されるように、今日も新快速(新大阪から乗り換えなし、足はいい)で出かけた次第。
長浜、二日連続。
こどもがなにかやる、ということには、当方一応警戒して臨むことにしている。おとながいじくって、あざとさしか感じられないことが、ほとんど。
これは違った。
駅に着いて、通りをいくと、いましも始まったばかりの山(山車の上で演ずるのです)に出くわした。
仮名手本忠臣蔵 七段目 ご存知 一力茶屋の場。
どの子供も、けれんみなく、自らの役柄を、素直に演じている。
そこから来る、なんというんだろう、神話的というか、なんともいえない空間が現出する。
お軽役の子も、教えられたとおり、しなを作っているのだろうが、例えようのない、まじり気のない、美しい瞬間がある。
女ではもちろん!大人の女形ではとてもだせない、清浄な、両性具有の美。
男と女、権謀術数が複雑に入り組むこのお芝居を9才の男の子が演ずるのですから。
お軽と平衛門のやりとりなど、涙がにじみました。ほんとに。
「あにさん」と呼びかけるお軽の声が、まだ耳に残っています。
他に、熊谷陣屋、先代萩、絵本太功記と、堂々とした演目がならぶ。全部見て、いずれも素晴らしかったのですが、特に、先代萩に一言。
10才のぼうやが政岡をやるんですよ。
八汐役の子がとくに印象に残りました。
凄い感じを正確に演じていたと思います。姿も美しかった。
他の役者さんにも言えるのだが、総じて、声と、手かな、手の動きの美しさ。
再度言うが、こどものあどけなさ、とか、大人の真似をするおかしみ、とか、その種の語るに落ちるもので売っているのではない。
演ずるのはこどもだが、演出も、筋書きも「こども」に配慮していない。
そこから、不思議な世界がうまれる。
冒頭、やや不用意に神話的などという慣れない言葉をつかったが、もちろんこの世の女と男のどろどろを生々しく表現できるわけがなく、抽象化された、神の領域、あの世とすれすれの世界で遊んでいるような、そういう美しさを感じた、ということです。
このへん、頭を冷やしてもうすこし発酵させたい。
いずれにしても、これ、やみつきになりそうだ。
来年も絶対行こう。
ほんとに、おとといまで、こういう祭があることすら知らなかった。
ご縁です。