ウォークマンを導入して以来、通勤の環境が劇的に改善した。
ひとつは耳栓効果、もうひとつは音楽が聴けること(あたりまえか)。
CD20枚分ぐらい一挙に入れて、とっかえひっかえ聞いているのだが、自ずから良く聞く曲とそうでもない曲がはっきりする。
毎日、必ず聞くのが、ジョビン 坂本龍一 のCASA。
トム・ジョビンの楽曲のよさ。
モレレンバウムさんのノンヴィヴラートの清浄な声。
そして、坂本龍一氏の、これ以上省きようがない最小限の音数のピアノ。
ゆったりと流れる時間。
ESPERANCA PERDIDA というおしまいから二番目の曲なんか、聞いてると、張っていた気分がゆるみます。
坂本龍一氏では、他に音楽図鑑(凄いタイトルだね)、未来派野郎、NEO GEOなんていう古めの自作も入れているのだが、どういう訳か、聴くのはジョビンの曲をアレンジしたこのCD。
この人の本質は、アレンジャーか。
初めてこの人の音楽に接したのもアレンジャーとして。
場所は、忘れもしない銀座コア七階テクニクス銀座。松下のショールームだ。
当時、70年代の半ばだが、無料でレコードの視聴をさせてくれていた。
銀座は通学の途中駅だし、受付のねえちゃんも別嬪だし、LP1枚ただで聞けるし、という訳で、ほとんど毎日通っていました。
大貫妙子さんの二枚目のアルバム。サンシャワーとかいったか。
新鮮でしたね。
歌詞カードに写真がのっていましたが、ど長髪まんなか分けで、只者でない風貌でした、当時から。
で。大貫妙子氏のファーストを買って、矢野顕子のジャパニーズガール(樫の木がどうしたこうしたという曲は未だに好き)を買って、と、あのあたりのメンツを渉猟していったのであった。
初めてご尊顔に接したのも大貫妙子さん(この人は呼び捨てにできない)がらみ。
リサイタル。青山タワーホール、小ぶりのホール。もうないか。
大学、教養のころだから、78〜9年。
バックが、坂本さんとユキヒロと細野氏。
きっちりYMOです。結成前。
当方もベース弾きだったから、細野晴臣氏は、さすがに知っていた。コバルトアワーのベースは神業だと崇拝していた。
高橋ユキヒロ氏は知らなかった。えらのはってる奴だな、というのと、やたら横向いて太鼓叩くなあ、という印象。
後に、シャバダバダのおじさんと組んだアルバムはかっこよかった。
まず、大貫さんがミニヨンだのなんだの歌って、その後、この3人で何曲かやります、というようなことを仰って、実際にYMOメンツが歌なしでニ三曲やった。曲は覚えていない。
渋谷のジャンジャンで矢野顕子氏と連弾のライブなんかもやってましたなあ。
得意げにボコーダーを使っていました。はやりだったんですね。
飯島真理さんのアルバムのアレンジなんかもわりと好きでした。
この人を一言でいうと、おフランス系のリリシズム、独断だが。
大貫さんとの相性がいちばんいいと思います。
また、ふたりでやってくれませんか。
昔話です。わしがモボと言われておったころのことじゃ。