冬は、すきだ。
晩秋がいいのは、これから、峻厳な季節が訪れる、という兆しをはらんでいるところにもある。
朝、窓を開けると、竹薮のかすかなそよぎ、鳥の声、そして、冬の朝の、清冽な匂いが、部屋に流れ込む。
ほっとするひと時。このまま時間が無限に過ぎればいい。
そうもいかないので、昨日に続いて、そこらを掃除。
そばとビールで少し気をとり直す。
チェロ。
近くのスーパーに買い物。
クリスマスセール。で、例によって、若い女の歌手がBGMで絶叫している。
そういえば、こないだ、若手が出る歌番組の総集編のようなものにチャンネルがあって、しばらく眺めていたことがあったが、年のせいか、若い女の歌は、全て、音楽として認識できなかった、例外なく。良く響くサイレンのようだった。感心した。
これは、なにかに似ている。
そうだ。
こちらに来た当初、地下鉄の中で鮮烈な記憶に残るエピソードがあった。
梅田で乗り込むと、若い女の二人組が、いた。そのひとりが、ガラスも震えるような大音声で、なにやら絶叫している。職場の誰それの悪口のようだ。
当初、車内の不特定多数に訴えているのだと思った。
ロンドンのハイドパークでは、小さなお立ち台さえ用意すれば、道行く人々に、政治、信条、となりのミヨちゃんのこと、その他森羅万象自らの思うところを訴えかけることができるそうな。それだと思った。
みなさん聞いてください、わたしの勤め先は、ひどいんです、と。
へえ、さすが大阪、フランクだなあ。地下鉄の中で演説か。
ところが、次第に、この女は、単に隣りの女Bと親しく会話をしているだけ、という状況であることが飲み込めてきた。その声量がすさまじく豊かである、ということに過ぎない、と。
車内の人々は、特に、何事もないように、至って平静だ。
大阪では、「いきいきマナーの大阪」てな感じのステッカーが、公の場所のそこここに貼ってあります。東京じゃ、あまりみかけない。大阪は、行政ぐるみ、礼儀ただしい街なんです。
人前での大音声についても、当局は「大声失敗談」と書かれた漫画の体裁のばかでかいポスターを駅構内、車内に貼りまくって、マナー向上のための注意を喚起をしているので、早晩、黄河の水が澄むころには改善するだろう。
あれから2年たった。
いまでは、当方も、「あたり構わずわめく女」を、大阪の日常の典型的な風景として自然にやり過ごすことができるようになった。
米やらなにやらを買い込んで寓居に戻ると、鳥がさえずっていた。
しみじみほっとしました。