啓発舎

マジすか? マジすよ

「思い出の樹の下で」の思い出

曲名 思い出の樹の下で
元歌の歌手 岩崎宏美
演奏者 T・田村 他

当方のバンド人生は、年を重ねるにつれて時代に逆行して歌謡曲路線をひた走っていった。中学3年でクリームをやっていたのが、高2では、沢田研二だ。危険な二人。あとビートルズの初期。アイ ソー ハースタンディング ゼア とかオール マイ ラヴィング とか。後期はオクトパス ガーデンしかやらなかった。
笑いものよ。
麻布のベンチャーズと呼ばれていた。山下達郎の屈折がよくわかる(レベル違うか)。まわりは、プログレッシブロックか、時代を遡るにしてもオールマンブラザーズとか、渋い路線ですよね。ディープパープルなんかも、既にイモと言われたころですから。まあ、今聞いてもイモですけど。
バンドはだいたいそうだと思うけど、ギタリスト次第。うちらのバンド(名前は恥ずかしいから言わない、ギリシャ神話 水仙 がヒント)もギターのT君がひっぱっていて、歌うアドリブを弾いた。音楽家としての才能があった。当方がベースに転向したのも、彼に、バンド一緒にやらないか、といわれたからだ。T君とギターを張り合うわけにはいかなかった。
で、歌謡曲路線は、そいつの趣味だ。
 その後、バンドにつきもののいきさつがあって、当方は電気楽器から遠ざかり、CSN&Yとか、今でいうアンプラグド路線に乗っかるようになった。文化祭のとき、中庭でやったコンサートは、未だに誉めてくれる人がいる。オン ザ ウエイ ホーム 懐かしいですね。

 ところで、高校卒業してしばらくして、T君から電話がかかってきた。麻布で寄り合いのコンサートがあって一曲だけやらないといけないんだけど、どう、と。彼は確かKOかどっかに席を置いていたと思う。こちとら、既にベースはとっくに売り払っていて、同じ弦4本でも5度チューニングの楽器に手を染めていた。
 「うーん、なにやるの」
 「岩崎宏美に決まってるだろ」
  「曲は」
 「思い出の樹の下で、に決まってるだろ」。しらねえよ。
 「誰が歌うの」
 「T・Tに決まってるだろ」
 巨漢・テノールのT・T君だ。クラシック畑だ。
 岩崎宏美を、クラシック発声のデブチン、しかも男、が歌う。コミックバンドですね。他のやつらは、どうせ、横文字の難しい曲をやるんだろう。

 人間、妙に、この人には弱い、という相手っていますよね。どうも、こいつに言われると、ついつい従ってしまう、と。
 私は、決して子分肌ではない、と思うが、T君には、なんだか弱かった。歌謡曲。電気楽器。しかも伴奏。トホホ。T君の誘い、というか命令だから仕方ない。

 学校はつかえないから、渋谷宮益坂の三浦ピアノの貸しスタジオで何回か音合わせ。その後、東口のグッドマン(ここのウエイターは、ペーパーナプキンに注文を書いた)か、東急文化会館地下のバグパイプでなにやら飲んだくれました。

 で、本番だが、これが、受けた。まじめに。決して色物としてでなく。
 楽曲が優れていたんだと思う。演奏については、この時キーボードをやったU氏は、医者になったあと紆余曲折があったがプロのオルガン弾きになったぐらいだから、そう悪くもなかったのだろう。

 幸福な体験だった。
 その後、酸欠と呼んでいた広尾の地下の店(ほんとに、たまに深呼吸しないと苦しかった)で、暗く盛り上がった。当時のキーワードは、この、得体のしれない「暗い」感じですね。

 で、まあ、ぼちぼち復活しますか、というわけで、駒場の学園祭でもビートルズ初期をやったりしたが、このときの暗い高揚感はありませんでした。

 というわけで岩崎宏美さんです、今夜は。全然話の本筋と関係ないけど。
 その節はお世話になりました。
 最後に、この人の芸術性について言及しておきたい。ディスコ歌謡を聴いてみ。グルーヴ感はドナ・サマーまっつあおだぞ。