啓発舎

マジすか? マジすよ

タイトル TURQUIE MUSIQUE SOUFI
演奏者  Kudsi Erguner 他
製作 Radio France

 10年ほど前、新橋で仕事していたころ、平日の晩、ぶらっと六本木に出かけることがよくあった。当時、六本木は、食い詰めた外人の溜まり場の様相を呈していて、ある種すさんだ雰囲気があった。交差点の三菱銀行のCDコーナーなど、ゴミが散乱し、外国の臭いがした。
 話はかわるが、ワシも若い時分はモボなどと言われ、キサナドゥ ナバーナ マジック レオパードキャットなどというダンスホールにいりびたり、若さ、というか、馬鹿さを謳歌していたものじゃった。
 暗い過去だ、恥ずかしい。70年代の末から80年代の半ばごろまでか。じゃがのう、その頃のこの街は、まだ、日本経済の強さがにじみでるような華やかさがあった。
 で、話戻して、すさんだ街になんの用かというと、特に用などない。ABC、WAVEをはしごしておとなしく帰るだけ。
 この二つのお店には、とことんお世話になった。

 ABCの業界オタク的充実は比類のないもので、奥の中二階にその種の本が、うじゃっとあるのだが、ここを一回りしただけで勝手にとびこんでくる情報量でいつもお腹いっぱいになった。
 その節操のなさも特筆もんで、たとえば、精神世界(業界は、スキですよね)のコーナーの雑多さは、神保町の書泉グランデを凌駕していたと思う。プロティヌスもカスタネーダもごちゃまぜでおいてあった。
 ○○先生が選んだ100冊、とかいって、一棚全部○○先生の趣味で並べる企画ものも、しょっちゅうやっていて、面白かった。
 いかん、わき道だ。

 今回は、WAVEのほうでした。
 つぶされちゃいましたね。暴挙ですね。
 私のマーキングは毎回、以下の手順で行う。
 まず、入り口のすぐ右側のニューエイジのコーナーを冷やかす。ただし、ここでは滅多に買わない。
 で、各階エスカレーターで上がりながらじゅんぐりに見て歩く。買わない。
 最上階(5階か、忘れた)がお目当て。エスカレーターであがってすぐ右手に、ビニール製のムンクの叫び人形があって、そいつをかき分けて奥に行くと、ワールドミュージックだけを集めた妙な一画があった。
 ここで、買う。冒頭紹介したCDもここで買った。
 インドものもずいぶん仕入れた。見ず転もよくやった。カスもつかまされた。全部捨てずに持っている。
 なんでそんなことしたかと言うと、100枚に1枚、こういう凄いやつにめぐりあったからだ。

 スーフィーの音楽は、聴きたかった。
 碩学 井筒俊彦先生の著書に、「イスラーム哲学の原像」(岩波新書 絶版)という凄い本がある。
 これについてはいずれ稿を改めたてじっくり語りたいが、今回の音楽との関連でいうと、ズイクル修行の実際について具体的な記述がある。ズイクルというのは、イスラム神秘主義であるスーフィズムの修行、まあ念仏のようなものか。
 「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アラーのほかに神なし)という語句をひたすら繰り返すというもの。これで、究極の世界に至る、と。
 へえ。一度見てみたい、聞いてみたいもんだ、と、思いました。

 このCDの一曲目が、そのズイクルだったのです。
 当方予備知識なし。
 冒頭、ネイ(笛)がハラホロヒレーと吹いて(奏者Kudsi Ergunerは有名。ピーター・ガブリエルと組んでやったりしている)その後不気味な太鼓のリズムにあわせ、おやじが、なにやらつぶやきはじめる。これにネイのオブリガートがからみ時々転調しながら延々続く。
 これは、と思いました。
 引き込まれる、気持ちいい、なにやら、らせん状に深淵に落ちていくような感じです。
 凄い、と思いました。続いて、あまり頻繁に聞いてはまずいな、と。

 それが、前述の「ラー・イラーハ・・・」だとわかったのは、何回か聞いてからだ。これは、あの、井筒先生の書いていたズイクルの唱え方そのものではないか、と。

 スーフィーは、ほんものです。あの修行は、きます、直感。

 秋の夜長、この詠唱を聞いていると、しみじみします。