啓発舎

マジすか? マジすよ

今日、リゲティ氏の訃報に接し、当初の予定(ヴォルテール)を変更します。

曲名 Continuum Fur Cembalo
作曲者 ジェルジ・リゲティ

 ごたぶんにもれず、この作曲家との出会いは「2001年宇宙の旅」だった。
 映画館はテアトル東京。観たのはいつだったか、73年ぐらいだったか。封切りは68年だから、2度目の上映だったように思う。ひとりでいった。
 一度目もテアトル東京だった。親父に連れられて銀座に遊びに来たときに、大きな宇宙船の看板が、でかでかとかかっていたのを、記憶している。もちろん、その頃はキューブリックのことなど知るはずもなく、SFの映画か、面白そうだな、程度。
 テアトル東京といえば、シネラマ、入れ替え制、料金も、他より少し高めの、映画館。当時、映画を見るのに親のすねなど齧れないから、銀座で映画といえば銀座文化がほとんどだった。
 要するに、まあ、気合いれていった訳です。
 
 仰天しました。

 基本的な予備知識はあったはずですが、休憩後の後半の展開については幸い予断がなく、あっけにとられながら画面にくぎ付けになることができました。

 なんとか船長が、例の小型の宇宙船に乗り込みモノリスを追いかけるときに、なんというのか、光のゲートですか、が現われるところ。兆しのように。で、光の洪水をかけぬけて、ホテルの一室のようなところに画面が変わる(この結末の解釈については百家争鳴ですが、小林信彦氏のエッセイで、ある映画会社の重役が、この幕切れについて「あれは制作費が底をついたんですよ」と耳打ちした、という説が、私には面白い。原作サイドからはクラークが丁寧に解説していますが)。
 
 いま、現に拙宅に、キューブリックの8巻もののDVDセットがあり、この映画いつでも見られるのですが、何度観ても圧巻です。

 初めて観たときのインパクトは今でもはっきり覚えていて、一番衝撃を受けたのは、実は映像よりも音楽だった。

 ツアラトストラとか美しく青きドナウのシーンは、当時すでに、なんというか、予定調和のような、お約束事としてこちらの度肝を抜くようなことはなかった。ツアラストラは、エルヴィス オン ステージでもやってたしね。舞台の袖から、まず、指輪で満艦飾になった片手だけが、さっとでてきて、オルガンのC音が地響きのように鳴り響く。当時はまじめな受けを狙っていたんですね、笑いでなく。
 どうでもいいか。

 リゲティの音楽は、黒い石版モノリスとのからみで出てくる。混声合唱。月からモノリスを掘り出して、それを調査に行く、宇宙服の人々。割と地味だが、ここのシーンが一番凄いと思う。何気なく歩いていく調査隊。それに対して音楽は、例のリゲティ微分音が宇宙に偏在する不吉で巨大なエネルギーを暗示ように妖しく増幅していく。緊張感。なにかとてつもないカタストロフィが起こるような予感。
 
 なんだ、キューブリックの話かよ。
 あと、渋谷の全線座でみた時計仕掛けのオレンジとか、有楽座か日比谷映画のどちらか(いつもごっちゃになる)で観たバリーリンドン(ジョーズに文字通り喰われて、ガラガラだった、ロードショーなのに)とか、言いたいことはいくらでもあるが、また今度にしよう。
 寄り道戻す。

 リゲティの音楽と、キューブリックのいつもながら無菌室のような清潔な映像美。しかも、音楽が主、映像は従。これがこの映画の本質だと思う。キューブリックリゲティのために、2時間もののビデオクリップを作ったというのが私の独断。

 今手元にあるのは、CD2枚、いずれもWergoで出している、これは、編集ものだろうか。チェロコンチェルト(指揮 あの、ギーレン)とかロンターノとかを久しぶりに聴いてみた。

 いずれも、今では、決して新しいとはいえないアプローチだけれど、厳しい音楽です。聴けます。
 
 冒頭掲げたのは、チェンバロの半音階のアルペジオを延々やるという力技。鍵盤楽器、しかも、チェンバロのような、ひとつひとつの音が、粒のようにはっきりしている楽器で〔要は、声とか弦のような微妙な音程がだせない)音の塊を表現しようという試みか。小品ですが、ちょっとユーモアを感じて好きです。

 合掌。