啓発舎

マジすか? マジすよ

岩波「図書」9月号届く。

 

だいぶ静かになった。よいことです。

編集後記で、PR誌のあり方について、電子書籍と紙の比較をもちだしてあーでもないこーでもないの後「PRの方法にあわせた最適なものが考えられてゆく」と他人事みたいなことを言っているが、ぜんぜん難しく考える必要はない。

 

岩波は、この「静かさ」、静謐なかんじが誌面に漂えばいい。なかみはどうでもいい。

それだけのことだ。

今月号は、だから、割と、いいかんじだ。

 

◆「漱石俳句の典拠」 徳田武

 漱石と子規のやりとりを読むと、謙虚になる。自分の小ささがいやでもわかる。

 教養の地肩が、ぜんぜんちがいますよ。

 ここまでの高みで自由にあそぶ。

 

 こういうのは、くどくど解説しないほうがいい。

 今回の筆者は、控えめな筆で、淡々と語る。

 よいです。

 

その次の稿が、以下。

◆「深い海の底から」赤阪憲雄

 今号唯一の雑音、ノイズ。

 「おれさま」意識。チープな感傷。

 高校二年で校長室を「占拠」して「ハンストの真似事」で「幼い政治の季節」のあっけない終幕で、それ以来、どうのこうの。

 という、抜き書きしても赤面するような、いつもの、おそらくこいつ全共闘世代だ、ガキの感傷。

 ヤメレ、こういうの。

 

 往復書簡って、回を重ねるごとに、「ドーダ」のぶつけ合いになっていくんだよね。

 武器は、イズムだ。おれさまの正義だ。

 どうなるか。

 

 漱石子規のあとにこういうのに接すると、なんというか、ほっとするところもある。

 こいつよりはおれのがまだマシだ、と。

 で、全然向上しない主宰でした。

 

 岩波の趣旨とはおそらく対極、そのまた極北の愉しみ方だとは思うが、なんかいい気分だ。