今日は東のほうで、用事があった。
雨でとりやめ。
きょうの用事hあちょっと、アレだったので、さすがに電話で懇ろにお詫びする。
で、かえって、いろんな話しができて、よかったです。
と、きっちり社会生活を営んでいるおれさまだ。
時間できたので、BSみると、また、おやれどろぼうやっているので見る。
百回みているのになぜ面白いか。
それは、全く、徹頭徹尾、意味がないからです。
これをみても修養はできない。感涙にむせぶこともない。社会正義のメッセージなどさらにない。
スリルもサスペンスもない。というとヒチコックに叱られそうだが、ケイリーグラントは、明らかに、この映画では、脱力している。退屈そうだ。
で、これから30分。
いま、4時55分だkら、5時25分まで。
◆おれは、なにをみてもよんでもお気に召さない。
◆例外はある、共通項は。
てな、かんじ。
◆なにをみても主宰はお気に召さない
映画も書いたものも、全然面白くない、とくに最近のやつは。
たまあに例外があるとこのブログにきちんと拾うようにはしている。だから、ここでおれがほめるのは、よっぽどです。そこらはシビルイルイだ。
◆例外の共通項は。
それでも例外はある。
ホテルでスリッパが片方ない、と客室係を呼び出し、そこらを徘徊し厨房に迷い込みコックの不興を買い、空を見上げると歯車が回転するはなし。
弓の名人が、道を究め、あらゆる雑念を去り、得物すら放擲するはなし。
お堀端を歩いていると、日比谷の交差点のあたりで、巨大なうなぎがお堀から陸にあがり、銀座方面に去っていくはなし。
おなじ作者で、ひたすら頭が痒いはなし。
下宿先の女主人から自分がいかに嫌がられているか、これでもかと、畳みかけるはなし。
無限に広がる図書館のはなし。
共通するのは、意味がない、ということか。
うえに挙げたのは、世間的には文豪といわれるみなさんの作です。
解説書は、佃煮級。だと思う。さんざん「意味」を語りつくされてる、と思う。
歯車の話なんか、それまで、この作者は、小理屈いうことに血道をあげ、おれなんか、鼻につくので、あまり好きじゃないのだが、たぶん絶筆だと思うこの作品は、なぜだか、手に取る、たまに。いまでも。
厨房に入り込んで従業員にどんびきされるあたりの他人事のような記述。
ある意味一触即発の状況。
ヒトが素になる。
そこに、意味が剥落する。
と、また、おれも小難しいことを言う。
日比谷の第一生命のあたり通ると、かならず、これは必ずといってよい、ここでウナギが上陸したんだな、としみじみ思いますから。
意味というものを、どこまでかなぐり捨てられるか、が主宰を感動させる肝だ。
再々書くが、ミニミニ大作戦は、その好事例なり。
◆芸術の価値は、どこまでひまつぶしに資するかによって測られる。
意味レス物件の探索、これあるのみ。これこそが、おいらのひまつぶし作業なり。
東西を問わず、これからの若い衆にはあまり期待できないので、いままでの、みなさまの労作から発掘するしかない。
今日のヒチコックは、その貴重な一事例です。
5時23分。