岩波「図書」8月号届く。
今月は材料豊富。
ガス欠対策で、浮かんだあれこれを予め挙げておく。
◆連載につきあってみえてくること
◆「見て触れる」と「聞いて触れる」
◆安岡章太郎
まず。
◆連載につきあってみえてくること
薄い冊子なので、一通り目を通す。
面白い連載もそうでないのもある。だいたい以下の類型におさまる。
㋑はなから面白い 〇→〇
㋺だんだんおもしろくなる ●(△)→〇
㋩当初気をひくが、次第にしぼむ。がっかり 〇→●
㊁ダメ ●→●
〇:おもしろい ●:ダメ △:とくに印象なし
月刊誌に毎月つきあう愉しみは、自分の受ける感覚の推移につきあうことに尽きる、といってよい。自分との対話。筆者なんかどうでもよい。
うえの分類のうち、㋑と㊁は、とくに論評するには及ばないと思う。
今日は、ダメをあげつらう余力はない。
おもしろは、㋺と㋩。
㋩の代表選手は「さだまさし」。
連載当初は、これが、あの四畳半フォークの「さだまさし」か、と瞠目したが、回を重ねるにつれ、やっぱり「さだまさし」印だ、と了解する。手つきがみえる。
化学調味料が次第に当方の舌に蓄積し、しびれを自覚する過程を体感する。
これをおもしろと言わずしてなんという。
㋺が実はいちばんおもしろ。
筆者からすると、最初手を抜いてだんだん気合いをいれる、ということではなかろう。
新横浜すぎまでトロトロいって、丹那トンネルをこえたあたりでやおら本気だしましょうかね、という新幹線走法のランナーではないだろう。普通は。
だから、だんだんよくなる、とすると、その連載が法華の太鼓だからではなくて、おいらの感受性のせいだ、たぶん。
で、㋺のグループから斎藤亜矢氏をとりあげたい。あと、余力があれば、加藤典洋。
というところで力尽きた。
結局最初の◆、連載につきあってみえてくること、これは序章みたいなもんだ、で終わってしまった。
熱いよ。