啓発舎

マジすか? マジすよ

N響パーヴォのストラヴィンスキー

N響第1887回 定期公演 Bプログラム
ストラヴィンスキーバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」
ストラヴィンスキーバレエ音楽「カルタ遊び」
ストラヴィンスキー/3楽章の交響曲
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
プロフィール

今夜は、よかった。
パーヴォを聴いて、よしよし、とホールをでたのは、初めてではないか。
ストラヴィンスキー新古典派時代の、と限定しておくが、の音楽とパーヴォの芸風が相通ずる、二人は相性がいいのかもしれない。


◆ミューズの神を率いるアポロ
 おそらく初めて聴く曲。
 ストラヴィンスキーの曲は、聴いても、かたっぱしから忘れるので、あるいはきいたことがあるのかもしれない。
 ともかく。
 N響の弦が、よく鳴る、冒頭から。雨なのに。
 溶け合う、というのでは全然ないが、ざら、とかぐしゃ、とかいうかんじでトウッティが響く。

◆3楽章の交響曲
 終楽章の畳みかけるところは、N響の合奏技術で、迫力がありながら精緻な響きを実現していた。


団員は、明らかに本気だしていた。
ブロム爺とやるときの一発勝負の気合いとは少し違って、きちんと譜読みをし、さらい、リハでいつもより他のセクションに気を配り、ということをちゃんとやって本番に臨みました、というかんじ。
フジモリ氏の縦ノリはいつもどおりだが、つられて、でもないだろうが、コンマス伊東氏、ふだんはあまり派手なパフォーマンスしない伊藤氏が、縦にゆれながらVn一味を引っ張っていました。


三部作以後のストラヴィンスキーとか、新ウイーン学派とかは学生のころよく聞いた。
一番印象が薄いのがストラヴィンスキーだった。ベルクとかシェーンベルクは、どこか「引っかかり」があるが、ストラ氏は、書法が精緻なのはすぐわかるが、このおやじはそもそも何が言いたいのか。

3楽章の交響曲はライヴを含めて何回か聞いたことがあるが、退屈なだけだった。

今夜初めて血沸き肉躍る思いがしたのは、私の耳がストラ氏に追い付いた、ということはおそらくないと思うので、やはり、パーヴォのドライ、とおれには思えたいい意味、で楽音至上主義、というのはいまおれが思いついた用語、な解釈と、それについていくN響の演奏技術が、ストラの神髄をみせてくれた、ということですね、おそらく。

ストラヴィンスキーに意味など求めてはいけない。
どしゃめしゃを、どしゃめしゃとして鑑賞するのみ。
パーヴォの「音楽性」は、それを再現するのに最適。
ということは、一体わたしは、パーヴォを褒めているのかそれとも。

八百屋で魚は買えません、しっとりうっとりしたいときはソヒエフ商店にいくよ。


恒例、今夜のMVP
1stVnセクション全体と、それを献身的にひっぱっていた伊藤氏できまり。ソロはご愛敬。