久しぶりに面白。
タモリがブラタモリで釣瓶についてコメントしたらしい。見てないが。
タモリは「鶴瓶の家族に乾杯」を次のように評した。
「(鶴瓶は)売り物の偽の人間性を発揮しながら(やってきたんだろうね)」
「偽善芸の極致」
「これを言うと(鶴瓶が)怒るんだけどね『営業妨害やで』って」
タモリは、これを言う資格がある。
おれが人間を「そっち」と「こっち」に分ける基準はいくつかあるが、偽善か露悪か、というのは、かならずやる。
タモリは文句なく露悪、従って、釣瓶を偽善、という資格がある。
これを偽善系の奴が言ってはいけない。
たとえば、五木寛之が釣瓶を、きれいごという奴だ、と評してはいけない。
武田鉄矢が釣瓶を歯の浮くこと言うなよ、となじったら、釣瓶は武田をぼこぼこにしてよい。
羞恥心、と言い直してもいいかもしれない。
タモリにはそれがある。
北野氏にもそれはあるのだが、湿っている。ウェットティッシュ。
タモリの羞恥心は乾いている。ふつうの、そこらで配っているちりがみ。
タモリを初めて見たときのことはよく覚えている。
お昼の奥様番組。3時のあなた、かなんか。。
赤塚不二夫がバカボンのパパと結婚する、という訳のわからない企画だった。
当時、70年代です、小川宏とか、そういう時代よ。
川崎さん、山本さん、よりずっと前。
当時の昼バカ番組は、油断ならないところがあって、映画俳優AとBがどうしたこうした、とかの定番ネタの合間に、なぜか、小坂忠がバックバンドを従えて、ロック、しかもウエストコーストっぽい、暇な奥様とは到底疎通しないような楽曲を演奏していたことがあった。バンドは、ひょっとしてはっぴいえんどか。違うか。
なんでもぶち込む闇鍋みたいなところがあって、たまに、とんでもない面白があった。青島幸男的アナーキーさが、まだ民放にあった時代。
戻す。
今でこそ、赤塚は体を張ってバカをやっていた、とみんな言うが、当時は、実際深夜番組とかにずいぶん露出していたが、そのバカが、新宿ゴールデン街か2丁目的悪趣味というか、おやじの野暮ったさと楽屋落ちが鼻について、おいらなんかは辟易だった。
で、そのノリでお昼の奥様番組に乱入し、例のとりまきを従えてバカボンのパパの着ぐるみの奴と赤塚が、祭壇の前で額づく。
牧師役が外人なまりで新郎新婦になにやら説教を始める。
「あなたはー、どうしたこうした、いけません、それでは、ですけれども」みたいなかんじ。
それまで、またかようんざりだ、とながめていたが、この妖しい牧師のパフォーマンスは、括目だった。
面白い素人さん、というような紹介だったように思う。まだ、森田さんだったはずだ。
そのあと、あっと言う間でしたね。
初期は、モンティーパイソンの合間に漫談みたいなのをやっていたのが今でも印象に残る。
今野雄二とかそのあたりの当時の文化人風を客として仕込んで、受けさせていた。
当時からずっと変わらない印象がある。
なんか予めヒトという動物に絶望しきってるかんじ。
たまたま生きているんだから仕方がない、と日々やってるかんじ。
おれは、タモリはそれほどうっとうしくないです。