啓発舎

マジすか? マジすよ

耳うどん

いつものカフェ。

 

耳うどん

ということばに初めて接したとき、とっさにうかんだのが、いま、現に私の斜め前で放心しているように見える若いサラリーマンの横顔、そのものの景色だった。

 

もちろん、これは、栃木県佐野市の郷土料理のことであるのだが、いま、耳うどん、という表記に、大方のヒトが連想するのは、私と同じ景色ではないだろうか。

 

ことばと、その対象の親和性、という意味で、これは秀逸である。

 

まず、「耳うどん」ということばが、はじめにありき、で、最もこの耳うどん、というコトバに適合したオブジェを作ろうとして、アップルが巨額を投資してできたのが、このプロダクトだった。

断じて、アップルのイヤホンに後付けでついたあだ名、などではない、と主宰は言い切る。

 

それぐらい、今、現に、私の斜め前にいるサラリーマンの間抜け面は、耳からうどんをぶらさげた阿呆、というパフォーマンスをストイックに演じているようだ。

 

震えるような感動を覚える。

 

異星人に「ヒト」を説明する際、図鑑に掲載する映像は、これできまりだ。

現場からは以上です。

ヒトは猿かユキヒョウか。

群れをなすか単独行か、という意味。

 

本来。

群れ、であることは、歴史が証明するが。

あくまで、本来、という設問、今回。

食うためには群れが効率がよい、というより、集団にならないと生存していけなかった、という事情は、所与、として。

 

群れて暮らすことが、頭のてっぺんからつま先まで沁みぬいているのは、学習、刷り込みか、はたまた、本能か。

 

おれは、単独行だ。

自分のすみずみまで調べても。

 

まわりの、群れてつかの間の安寧を得ているとしかおもえないヒトビトは、どうか。

 

しらねえよ。

 

という設問をめぐりあーでもないこーでもない、しそうな気がする。

しばらく。

 

 

記事

『AI救国論』キャリアの獣道と開かれた学習環境

本書『AI救国論』の第一章は「日本衰退の責任は若手の実力不足にある」という刺激的なタイトルが付されている。老人が若者への責任転嫁で書きなぐったような本なら読むに値しないが、31歳にして東京大学准教授でありながら、代表取締役として株式会社Daisyを経営する大澤昇平による著となると読まないわけにはいかない。

AI救国論 (新潮新書)
作者: 大澤昇平
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 2019/09/13
メディア: 新書
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今の日本は既にテクノロジストを優遇する実力社会であるが、残念ながらそこに若手が付いてこれていない。日本が年功序列なのではなく、教育が古いので若手に実力がないだけである。

 「日本の競争力が低いのは、実力社会の中にあって若者に実力がないからである」と舌鋒鋭く一刀両断する。年寄りに文句を言ったり責任転嫁をするのはやめて、若者よ自分たちの力でなんとかしようではないかという咆哮は、若手以上年寄未満の四十代半ばには何とも小気味良い。

もちろん、若手を吊るしあげるだけではなく、その若者の実力不足の構造的な問題、例えば貴重な高校生時代を詰め込み型の受験勉強に時間を割かなければならない大学受験の仕組み外注丸投げでテクノロジストの価値が正当に評価できないIT業界の構造、などにも言及している。これも単なる体制批判であれば、類似の書籍は掃いて捨てるほどあるが、本書の価値は筆者の展開する「べき論」に全て行動と現実的な解決策が伴っているところにある。

例えば、「一般の大学受験をせずに、高等専門学校に進学をして専門知識を身につける」という詰め込み受験の迂回策を自らの経験を元に紹介し、会社経営をしながらも大学准教授として教鞭をとり、自分の思い描くこれからの時代に必要な教育を実力不足予備群の若手に実際に提供している。

高校受験の段階で高等専門学校に進学をするという決断までできるのはほんの一握りの人間であり、それが全ての人にとって現実的な解かというと疑問も残る。だが、ぶっちゃけここで提示される個別の解決策の汎用性はあまり重要ではない。本書の胆はAIが日本の未来を救うことでもなければ、ブロックチェーンの可能性でもない。

本書の若手へのメッセージは、日本でひかれている壊れかけレールの上を進むのではなく、誰も入っていったことのない「獣道」を自分なりにかきわけていく胆力を持とうという点と、「獣道」をかきわけていくための技術を身につける手段は、一握りの人に開かれているわけではなく、全ての人に開かれているという点、に集約されると私は読んだ。

筆者は高専筑波大学、東大大学院、IBM基礎研究所とテクノロジストとしての芸を極めるために歩を進めてきたが、高校の普通科の在学生数がおよそ250万人に対して、高専はわずか5万人である。そこから大学に編入し、日本最高学府の大学院に進学するというのは、後から振り返ってみれば「あり」な道ではあるが、誰もが通ることができるようになっているハイキングロードではなく、筆者がかきわけてきた「獣道」だ。

現在のIT業界はオープンイノベーションが極限まで進行し、多くのエンジニアはその上澄みだけを救うことで新規の概念を学習することが可能になっている。

ポイントは気合いを入れてそういった獣道に飛び込もうということだけではなく、AIやブロックチェーンなどのテクノロジストの領域は、学習環境が整備されているということだろう。クラウド上に開発環境が開かれていたりや中核技術がオープンソースで構成されているから、大きな組織に所属することなくとも最先端の技術が学習でき、自力さえあれば途中で野垂れ死ぬ可能性は低いということだ。

なお、こういう学習環境については、テクノロジーの世界だけでなく、インターネットの力で様々な領域に広がっている。ハーバード大学マサチューセッツ工科大学が共同で立ち上げたedXのようなオンライン教育サービスは、テクノロジー領域のみではなく幅広い教育サービスが提供されている。こういった開かれた学習環境を活用し、筆者のような獣道をかき分けていく人材が幅広い領域からでて欲しいと思う。

 

久々に、かつて主宰が散々使い古した紋切り型フレーズに、再登場いただく。

 

「膝を打って、皿が割れそうになった」

 

 

 本の解説、にコメントする、という屋上屋を、敢えてする。

現在のIT業界はオープンイノベーションが極限まで進行し、多くのエンジニアはその上澄みだけを救うことで新規の概念を学習することが可能になっている。

 

   最初から、三段ロケット点火後ぐらいのポジション取りができる、ということか、「オープンイノベーションの最先端をうまくみっけると。

いい波にのっかると、遠くまでいける、ということか。

いい波を見つける地肩、遠くまでバランスをとってサーフィンする技術、など、なまなかじゃない、ほんとの能力が問われる、とうことだろうね。

 

大学など行かなくても、楽々アクセスできるのだから学歴だのなんだのの言い訳がきかない、ということですか。

 

賛成。

 

「獣道」を分け入る強靭な個、が島国一族に、どれだけいるか。

悲観的にならざるを得ない。

 

老いの繰り言じゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆7番は途中から始まるかんじがする。

 とさっきパーヴォがテレビで言っていた。

 

 シベリウスの7番の冒頭を、途中から開始と感ずるか、ゆっくり扉が開いて、これからなにかが始まる、と感じるか、は、音楽に対する感受性の、わりあい根っこのところに関わる。と思う。

 

お江戸日本橋から出発したとしたら、直後、永代通りの交差点のあたりだ。

ここで、そのまま直進して東海道で京にのぼるか、はたまた、右折して大手町でつきあたって、即位パレードに参加して、246でパレードとわかれて、新宿通りから甲州街道中山道を通って都にたどりつくか、ぐらいの違いがある。

 

パーヴォとおいらが合わないのは、無理ないよ。

地べた関連のどうでもいいヒトビトとどうでもよい用事。

であるから、別段、かすらずに、過ごした。

今日のお題はシェアハウスが下火になったとおもったら、コミュニティなんとか、で、物件周辺を含めてプロデユースがナウいぜ、というような話。

「ふれあい」関連です。

民泊、ゲストハウス、と、去年おととしの流行りものが、既にどんどん討ち死にしている。

という事実をふまえてのことか。

 

「ふれあい」は商売にならない。

「みんなの集まるコミュニティ」では数字はとれない。

ペラペラの有象無象が覗きにくるのみ。

 

懲りないねえ。

 

 

 

◆NHKBS 熊を叱る男

 つくりは雑だが、一本芯が通っている。

 カメラをまわしたまま、放り投げられているかんじが、作り込み感なく、かえって、よい。

 

◆きのうは、井筒俊彦の伝記みたいのをやっていた、NHKBSの同じシリーズで。

これは、安藤某とか中沢とかをキャスティングした時点でアウト。

井筒の肉声ははじめて聞いた

甲高く、イメージとあわない。

 

井筒さんは、後継に恵まれない。

お茶大で道元やってたおばさん、は、ちょっとおもしろだったが、いま、どうしているか。

著作で、道元を語るのによく井筒を引用していて、その引用ぶりは、わりとピントがあっていた、とうな記憶がある。

 道元は袋小路だ筋が悪い、おれにいわせれば。

井筒あたりで、というのも、我ながら僭越なものいいだが、手を打って、腑分けしてみたらどうか。

こないだの台風がらみの行政相手の打ち合わせ。現地。

複数の選択肢ができたのは前進。落としどころがみえた。

 

で、ご苦労さん会。

A氏、問わず語りで。

取引先の会社が焦げて、回収で。と。

ちょっとまわりくどいところのある方なのだが、要すれば逃げる相手に追い込みかけてる、と。

きたない、穢いという表記のほうがいいか、奴、と悲憤慷慨。

セロニアス文句なくおもしろ。

一方口であるにしろ、ヒトとヒトのガチンコのぶつかりあい、譚は、穢いどころか、聞いていてすがすがしいです。

ヒトっていいな。

今日の青空みたい。

 

ハハ。

 

明日は、地べた関係の寄合なり。

ヒトっていいな、シリーズは続くか。

期待ははずむ。

 

 

以下、ことばは、全部仮置き。

 

①時空認識

②これを妨げるもの ノイズ

③ノイズを構成する要素

 

③からいく。

ノイズは、ほとんどがヒトです。99.5%。

残りの0.5%を座敷犬のキャンキャン、右翼街宣、などで分け合う。

 

だからヒトを排除する。

ノイズでなかったら、別にどうでもいい。

うるさいからよける。

ややこしいからさける。

 

①時空を、どこで認識するか。

 昼近くの北の丸公園

 拙宅リビングの午後

 優れた演奏会

 

 リビングでぼーっとしていれば到達点でたゆとうことができるのに、わざわざコンサートになぜ行くか。

 

凝縮されているからだ。

ターボチャージャーだからだ。

 

ヒトが、ノイズで構成されているとはいってない。

ノイズというジグゾーを組み立てるとヒトが立ち現れる、という意味ではない、近似はするが。

おれにとって、ノイズを構成する要素で圧倒的な割合を占めるのがヒトだ、ということ。

 

静謐というのは、ノイズがない、あるいは極小であることなので、ヒトさえなければ、閑、である。

 

それだけのこと。

 

だから、別に、人間嫌いなわけではない、と思う。

現に、明日、押し合いへし合いする。

銭金だが、別にそんなにいやじゃない。

くいぶち。身過ぎ世過ぎ。

気晴らし、ともいえる。

二六時中陶然としているわけにはいかない。

 

だが、なんのためにこの世に生存しているか、というと、そりゃ、時空認識なので、それを買う歩するのが、日々やっていく技術。

 

いま、だいたい、95%ぐらいかな。

いい線いってる。これを維持する。

 

 

N響

ブロムシュテット

英雄

死と変容

タンホイザー

 

楽しめた。

 

エロイカの良しあしは、血が騒ぐかどうかにつきる。

今夜は、日頃自分の裡で発言が恵まれない「雄渾」勢力が、盛んに気勢をあげていた。

一楽章全部、二楽章中間部の少し明るくなるところ、終楽章、と、途切れず流れる、推進する。

 

自分でもやったことある曲は、どうしても細部を聞いてしまう。

アンサンブルは、セカンド、ヴィオラのきざみとか、ずれる、繰り返しで補正されるかと思いきや、同じ個所でまたずれる、などあったが、こういう演奏ではそれは瑕瑾にならない。

おおらかに進む力がそんなもんかき消す。

 

こういう演奏はよいですね。

2ndのうしろのほうを見るとその日の団員の乗り具合がわかる。

 

タンホイザー

ホルンがおとなしい。

 

死と変容

マロのとなりのお姉さんが、掛け合いをやっていたが、艶っぽい、よい音色だった。

 

それにしても、ブロム爺が振ると客の喝采がすごい。

Bプロには珍しく、何人かスタンディングしてました。

 

前半エロイカだったもんだから、休憩のビールが、なんか、自分にごくろうさんという、打ち上げみたいな気分だった。

このあとまた脂っこいのを食うのか。

で、食ったら、それはそれで胃袋にはいった、と。

 

高揚感は持続した。

 

年にい何回か、こういうことがあると、それだけでやっていける、という、そういう心持になりました。

音楽の力は、大きいよ。

 

ブロム爺さんには、この先、200才ぐらいまでは活躍していただきたい。

 

北の丸で食ってたらキジバト夫婦に遭遇。

 

キジバトに、そこはかとなく漂う品の良い夫婦、というかんじがどこからくるのかと、しばらく考えた。

 

群れないからだよ。

 

ドバトの醜さは、群れては、意味ないいざこざを延々しつづけることにあり。

 

キジバトが、二羽でおっとりやってることに鑑みれば、おそらく、ハトに、群生の必然性はない、生存する、ということにおいて。

 

ヒトもまた、同様なり。

 

昔はともかく、今は、単独行でも、全然楽ちんです。

ヒトが、潜在的に他の個体に悪さする蓋然性を秘めた生き物、であることを踏まえると、ドバト同様群生は弊害だらけだ、というべき。

 

役所の好きな言葉で「ふれあい」というのがある。

「ふれあい広場」は全国に3000万箇所ある、おれの推計で。

 

ところで、ふれあい、と聞くと、主宰はある事象を連想する。

 

サウナで、となりのおやじが、体吹いたりした拍子に、二の腕あたりが接触することがある。

その、ぬるっとした感じ。

書いていてその触感が蘇る。

とことん気持ち悪いぜ。

 

ふれあい、ってのは、これだよ。

 

では、「ふれあわない広場」ならよいか。

 

それは意味ない。

ふれあわないなら、もともと公共スペースを用意することはない。

みな、てんでに好きなところですきなことをやればよい。

 

あたりまえ。

 

ところが、これが、あるんですね、実際。

ふれあわないために集まる広場が。

 

スタバは、おれはそういう空間だと思う。

 

互いが互いを拒絶するためにわざわざやってくる。

イヤホンなんりスマホなりで武装して。

 

ばかじゃないの。

 

というわけで、本日も、主宰は、北の丸の清冽な大気のなかキジバトと親しみ、時間の移ろいにひたるのでした。

 

金曜までヒトと交渉用事なく、オフなり。

きのうN響のおまけでやったウィーン少年合唱団はおもしろだった。

電光と雷鳴。

ニューイヤーコンサートの定番ですね。

これの合唱版。

訳詞が傑作。

電光、雷鳴は、女房の小言のことだったのね。

最後は、「これでこのあわれな男の話はおしまい」、とな。

これを、つぶらな瞳の少年が、清らかに合唱する。

女房の尻に敷かれる男のはなしを。

 

以前、カルミナブラーナの姉妹作をファビオルイージN響とやったとき、その歌詞の、清らかさに驚嘆したことがあった。

いまでも覚えているのは、「メントス」ということば。

これだけ、日本語に訳さないで、カタカナ表記。原語を音訳したものだろう。

 

前後の文脈から想像はつく。

 

これを、少年少女合唱団が、おおらかに歌い上げる。

 

ここに音楽の喜びがあるので、パーヴォはすこし見習うといい。

 

N響。テレビ。パーヴォ。マーラー5番。

よこはま。たそがれ。は、あの人はいっていってしまった、というドラマで幕切れとなるが。

N響。パーヴォ。には、いつものように、営業終了ごくろうさん、の退屈な日常感しかない。

 

で、長いのでさすがに考えるところがあった。

 

マーラーがおわってるのは、こういうことではないか。

当時は、映画もなく、ましてやトーキーは、さらに後。

映像なしに1時間半もちこたえるためには、かましだのギミックだのが要る。

マーラーって、なんか、ゲームみたいなかんじないか。

ニンテンドー。シューティングとか、シミュレーションとか。

場面転換の激しいやつ。

ところで、ゲーム音楽は、一山いくら、です。

5番程度のはったりでは、埋もれてしまう。

で、マーラー、終了。

 

以上。

 

ということが、パーヴォの、死体腑分けのような、自然な流れのない音の連なりを聞いていて思った。

 

というわけで発見あり。

よかったよかった。

 

ラグビー決勝。

 弛緩する時間が全くない。

 見ているこっちも、へとへとになった。

 

 キックオフのときの「いよお」の掛け声は、批判があるようだが、おれは受けた。

ラグビーの、なんというか、様式美と、ばっちり溶け合う。

 

岩波『図書』11月号届く。

大きなシステムとファンタジー 影山知明

知らない筆者だが、書いてるなかみから、一山いくらのキャリアポルノの書き手、と知れる。

おれがキャリアポルノというのはスカスカの説教、という程度の意味だが、なかみがすかすかなのは、むしろよいことです。およそ説教と名の付くものは、坊主のごたくをはじめ、ほぼ全部ダメだから、同じダメなら中身は薄いに越したことない。

辟易するのは、この種の書き手は、例外なく自分にうっとりなんだよね。

これは困る。

「競争と利己性」に基づいた経済から、「友愛と利他性」に基づいた経済へ。

だそうな。

日頃、わるびし銀行、低級リバブルなど、つぶらな瞳、清らかな心の仁に囲まれて稀有な恵まれた環境で「経済」してる主宰にして、いささか絵空事にすぎやしないか、というおもいを禁じ得ない。

 

なんかこいつ営業してねえか。食わせ者のにおいがするぞ。

 

 

かと思うと。

きのうだかおとといだか、T急かNコムだかから、いよいよハロウィンですね、みたいな、つかみのメールが来た。

正気か。

そこらのアウトロー業者ならともかく。

 

お待ちかねですね、って、おまえの出してる一律メールの相手は、全員おやじだぞ。

自分の「階層」しかみえないんですね。

 

そのテでよくあるのが、物件案内の釣りで、「このあたりは芸能人もよく見かけるんですよ」という奴。

「ガラがわるいんだ」と返すと、すげえ、やな顔します。

例外なし。営業だから態度に出してはいけないのだが、とっさにでてしまう。

 

 

やな顔される、でいうと、必ず、むっとされるのは以下。

 

相手の繰り出す世間話に。

 

「テレビみないんですよ」

これには、全員、体が反応します。

かすかに硬直する、というか、なんか書いてると手が一瞬とまる、というか。

で、気まずい沈黙。

 

それはこちらも学習しているので、こいつもういいや、という奴に、このフレーズを使う。

とりあえず話題がなくなる。

3分後解散、そのご音信なし、という展開。

 

これは便利。

 

こいつ切りたい、ときは、「地上波民放はみないんです」が、いまのところ、一番有効。

「実は私もみないんです」というレスポンスは、今日まで、ない。

 

 

なんの話だったっけ。