◆ゆるいつながり、の兆し

 若い人とのやりとりに風通しがある。連休の前後、このところなにかとなにだったので、これはすこし明るいながめ

◆雨の季節を控えたこの時期の豊穣な大気

 時空間の甘美さ。

◆音の残像

 きのうの記憶、3年前の手触り、学生時代のフラグメント。

 血肉化、あるいは重層化ということ。

 

など、どうでもいいとは言えないことどもが去来する。

 

さすがに、これを外に出したい、という気になるのだが。

 

でもまあ、気を取り直して。

そこは、あれだ、こっちはこっちで適当にやっときます。

 

で、本題、どうでもいいはなし。

今日はオフなので、皮膚感覚のばかばなしはありません。

ので、ネットから。

登場いただくの女性お二方。

 

◆メイ首相。

久々にFT抜粋。

「我々は英国のEU離脱を最後までやり抜く必要がある」とメイ氏は演壇から訴えた。だが、大半の保守党議員はひそひそと密談するばかりで耳を貸さず、20分もしないうちに退席していった。メイ氏は空っぽになった緑色の革張りの議員席を前に語り続けた。

上西小百合氏のtwitter抜粋 時系列

橋下の「丸山穂高氏は上西小百合氏と全く同タイプ。このような国会議員を誕生させたのは僕の責任。」を受け

◆何がどう同じなんだか。今回の“戦争発言”の問題点が全然わかっていないんですね。こんな人のつくった党にいたのかと思うとうんざりする。それと何かあったら『僕の責任』って言ったり『母親に咎められた』と言えば人気がとれると思っている浅はかさも大嫌い。

◆橋下さんも、松井さんも、(ついでに東さんも)何故長谷川豊氏にははっきり言及しないのか。考え方が似てるからなのか。だとしたら最低最悪。

上西氏は、自身の辞任騒動のとき、橋下を「力のある奴には弱く、弱者には嵩にかかる」「自分が消えるのが不安できゃんきゃん吠える」というような、まさに橋下をとらえて過不足ないの卓抜な橋下徹評をしたときから、注目している。

 

孤軍奮闘するメイ首相と、維新のごろつきとひとり闘う上西小百合氏におなじ意気地をみる。

 

侠気、おとこぎ、というやつだ。

 

セロニアス文句なく「どてらい」認定する。

 

そういう気分。

 

 

N響パパヤルヴィのパフォーマンス

 


N響第1914回 定期公演

イベールモーツァルトへのオマージュ

フランク/交響曲 ニ短調
サン・サーンス/交響曲 第3番 ハ短調 作品78*
指揮:ネーメ・ヤルヴィ
オルガン*:鈴木優人
 

今夜は、書くことてんこ盛り

 

◆先週とくらべて。

一週間前おなじサントリーで読響をきいた。

 その耳で今夜N響をきく。

 新鮮だったよ。

 なんといっても木管

 神田と青山は、銀座線だとだいぶ距離があるが、今夜は、やわらかくひとつに溶け合っていた。

 神田フルート青山オーボエのおやじペアと、いままで何度居合わせたかしれないが、それをしみじみかんじたのは、久しぶりだ。

 読響がどうのということではない。そういう比べ方はあまり好きではない。

 マスとしての音群の聞こえ方。

 木管に弦が引っ張られる、という聴こえ方。

 これはいささか個人的な、おいらの感性に属する感想である一般化できない。

 いずれにしろ、たまに違う空気を吸うのは、よいことだ。とわかった。

◆パパのパフォーマンス

1.一曲目を振り終わったと思ったら、マロに向かって仁王立ち。自分で自分に拍手。

 たぶん、このシーンはテレビに映る。

 客席は、ああいつもの、と受けていたが、おれは少しひやっとした。

 リハでなんかあったか。

 その解釈は数多いるN響人間関係批評家はじめ好事家に任せよう。

2.フランクおわったら、二階席に向かい、耳に手をあて拍手の催促。

 と思ったら、今度は土間の客に、そこ、ノリが悪い、とアピール。

 林家三平の芸の神髄は、息子こぶ平でなく、三平自らオホーツク海を越え、シベリア鉄道で大陸を横断し、レニングラードから命がけで越境し、たどりついたバルト三国の一指揮者に受け継がれていたのでした。

3.サンサーンスで、再度耳当てパフォーマンス、こうなるとしつこいぞ。

 しまいに、1Vnうしろのプルトの宇根さんを拾って腕組んで退場。

 

 パパよ。N響にはもう呼んでもらえないだろうから、この先、思い切って寄席芸人に転身してはどうか。

 なんなら主宰が鈴本あたりの席亭に口きいてやってもいい。

 

演奏に言及する体力がほとんどなくなった。

フランクもサンサーンスも好きな曲ではないが、メリハリはあるので普通に楽しめた。

今夜の演奏にパパがどれだけ与って力あったかはわからんが。

 

MVPはマロ。

演奏ではなく、その指揮ぶりに。

急所のアインザッツはことごとくマロの弓が指示をだしていた。

 

 

 

 

いささか旧聞に属するが、九州あたりで、だれそれが、あんたは韓国か北朝鮮みたいだ、と発言したのが失礼だ、ということらしい。

 

どうでもいい物件が枯渇しているので、これをネタにしあげてみる。

 

 

いきます。

長崎県、日本名、チョウ サキケン氏(以下チョーさん、と略)が佐賀県を韓国北朝鮮、以下キムチと略、みたい、と言った、と。

 これのどこが失礼か。

 

チョウさんがキムチが大好きだったらとしたらどうか。

キムチのように激辛でカッコいい、という趣旨だとしたら。

 

全然失礼ではないではないか。 

発言者の主観に属することを、外野がやいのやいのいわないほうがいい。 

 

たとえば、おれさまが、だれそれを、座敷犬のようだ、といったとする。

これを失礼、ととる奴は、座敷犬を、あとずさりしながらキャンキャン吠える、それも飼い主がそばにいるときに限る、因循姑息なやろう、というイメージでとらえている、おそらく。

 

なにをいうか。

この世で座敷犬ほど、★◎な生き物はいない。

いずれがカラスか座敷犬か、というのは、いずれが叶姉妹か小室さんのかあちゃんか、というのと一緒で、銀河系いちばんの★◎、という意味だ、おれにとって。

ついでに言うと、座敷犬とリードでつながった先に常に存在する二本足歩行の生き物は、もっと★◎だ。

 

もちろん、この★◎には、およそこの世に存する美質がすべてはいる。

 

勿論。

  

  

ところで、では、主宰は、芳しくない相手に、直接対峙する状況で、なんというか。

 これが今日の眼目。

 

ヒト、がキーワードだ。

おれが、あんたは人間的、とか、ヒトとしてエラい、とか、人間味あふれる、とか、要すれば、「ヒト」にからめてよいしょしたら。

 

 

もちろん、文字通りの意味だよ。

 

 

どうでもいいマラソンもそろそろ胸突き八丁か。

日曜美術館を栗原康がでるというので、みた。

ぼくちゃんだ。

田中泯とならぶと、貫目の違いが歴然。

文体は、やっぱり改めたほうがいい。

 

 

なかみは、禁を破ってまでみるほどのことはない。

題材がなんであれ、100倍ぐらいに希釈する手つきはかわらない。

一遍さんが気の毒だ。

 

女のアナウンサーがかわっていた。はじめてみる人だが、悪くない。

となりのおかっぱメガネがまるでダメ夫だから誰をおいても引き立つ、ということを考慮しても。

少しは収穫がないとな。

 

◆そのあとのバレエの番組も成り行きでみる

 

 野郎二人でボレロをやったのは、ちょっと面白かった。

 ケレンの限界に挑戦、お笑いとの一線をぎりぎりで踏みとどまる。

 

 

読響体験記その2

 

今回は、演奏以外にフォーカスしてみました。

どしてもN響との比較になる。

 

◆定期の客が若い。

 みたところ、65才ぐらいか、ならすと。

 N響会員の平均年齢が85才だから、20歳もヤング、若さ横溢、といえよう。

◆したがって、楽章間のゴホゴホが目立たない。
 これは、N響が、入れ歯もはずれる勢いの大音響であるのに比べて、ということで、しわぶきひとつも、というほどではない。

◆ホワイエドリンクコーナーの店員がひま

 休憩時間、おれはかならず、ここでビール、値上げで600円になった、を呑むのだが、N響だと毎回長い列に並ぶ。

 こないだの読響は、待たずに注文できた。そもそも行列が発生しない。

◆拍手のマナーが良い。

 ブルックナーで、指揮者、演奏の終焉に、指揮棒を虚空に示しながら、固まる。

 拍手、ならない。

 無限の時間がすぎ、ようやく腕をおろす。

 拍手、まだ、起きない。

 で、しかたなく、ニ三回、よしよしとうなづいてみせる。

 客、これを拍手OKのサインと正しく察知し、やおら拍手起こる。

 

 

いいことづくめだ。

 

 

 

中央フリーウェイのベースが細野晴臣ではない、と知ってびっくり。

しかも、リーランド・スカラーという初めて聞くそのミュージシャンが、ジェームステイラーのマッドスライドスリムでも弾いている、と知り、二度びっくり。

 

一挙にジェイムステイラーと荒井由実が、つながった、自分の中で。

 

水の流れのような自然なベースライン。

タイム感。

 

神保町でセンセイと打ち合わせ。

予定どおり叱られて、叱られてあのこはまちまでおつかいに、主宰は本屋で立ち読みさ。

 

東京堂は、栗原康を平積みにする。

新書で、その名も「アナキズム」というので手に取る。

例の文体。食傷、とまで言う気はないが、わかったわかった、と、30秒だ。

やんちゃに書き散らかしているようでいて、それなりの理屈も体感もある、というのがわかってしまうと、手つきではひっぱれなくなる、少なくとも主宰は。

じゃあ、次は、どういう技を繰り出すか。

このへんが、難しいところだ。

 

アナキズムはべつによいのだが、同じ手法だとやること自体がマンネリになり、「アナキズム」が「マニエリズム」じゃまずいだろう、と、手法はどんどん過激にならざるを得ない。

 

しかも、インテリが身をやつしている、みたいなのが、露呈してくると。

 

この先どう展開するか、少し注目。

次は実践か。自ら一遍みたいに踊り狂ったり、パンクやったり、秋篠宮さまばりにヒトラーひげはやしたり。

秋篠宮さまは、内田裕也の衣鉢を継いだ、正統派ロケンローラーです、ちなみに。

 

最近、主宰の「こいつこの先どうなるかおもしろリスト」に新顔がない。 

秋篠宮さま、カルロスゴーンの女房、とならんで、栗原も追加しとくか。

 

今日は、とことんどうでもいい話ができた。

ツバメさんと遭遇。今回は、巣も特定できた。

二羽でかわるがわるヒナにえさを運ぶ。

文字通りくるくるはたらく。

 

国立劇場のそば。

「隼」町にて「燕」と出会う。

 

 

 

読売日本交響楽団

第588回定期演奏会
2019 5.14〈火〉 19:00  サントリーホール
《第10代常任指揮者就任披露演奏会》
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ

ヘンツェ:7つのボレロ
ブルックナー交響曲第9番 ニ短調 WAB.109

 

立派なブルックナーだった。

 

読響を最後に聞いた記憶は、学生のころまで遡る。

初めてみたいなもんだ。

だから、この先は、おそらく、今夜の演奏に、というより、読響、というオーケストラに対する感想が主になると思う。

 

金管、立派。

ブロンズの、黄金色の響き。強奏でも、丸い。

これは、N響を凌駕する。

ティンパニがグルーブしている。

前半の打楽器群はどしゃめしゃうるさいだけだったが、後半ブルックナーティンパニは、演奏に風格をあたえていた。

◆弦。

当方は弦には、点が辛い。

1stVnは、音が硬い、とくに高音域、という印象が当初あったが、ブルックナーの終楽章では、スケルツォでがしがし肩慣らししたせいか、ふくよかさがでてきた、ように感じた。

今回だけではなんともいえません。

 

日本のオーケストラで普通に安心してこういうブルックナーが聴ける、というのは、やはりよい時代になった、というべきか。

 

こんどは都響をのぞいてみるつもり。大野以外の棒のとき。

 

 

今年はじめてツバメさんに遭遇。

スケーティングのように低空飛行する。

 

そう、時空の中の存在なのです、ツバメさんもおいらも。

 

 

いかん、ツバメさんと接すると、ついつい。

今日はここまで。

🚲で通りがかったら近所の一軒家イタリアンに閉店の貼り紙。
並びの地下中華で食うのでおれに実害はない。
女子学向かいの一軒家おフランスなどは店ごとおとりつぶしで日テレ再開発の敷地になっちまっただ。
番町マダムのセレブはこの先どう昼下がりを優雅にお過ごし遊ばされるのか、などきを揉むにはおよばない。

虚もう、ざーますよ、奥様。
と、繁盛する、ご近所カフェで210円アイスコーヒー前にして書く、というか、人差し指でうつ。
どうでもいい話マラソンも、今日で、はや、えーと、10日め、ぐらいですか。

あと、小澤、談志あたりか。

国を挙げてあんたはエラということになったるが、おれはぜんぜんダメ、という仁。

 

場合分けして考察する。

 

ほんとにダメだが、国民のみなさまが節穴。

実際エラいが、おれと「ケミストリー」があわない。

大方は、ダメかどうかわからないが、みんながいいというからとりあえず雷同しているので、「国民的」かどうか、あてにならない。

いいか、だめかは主観に属するか、いちいちがたがた言うな。

 

それぞれ魅力的な項目建てだが、時間もヒマもない。

正確には、ひまはあるが、関わり合う気がしない。割く時間がもったいない。

 

正解は、もちろん一番うえなので、みなさん節穴です。

 

星も月もおれのまわりをまわる。

午前中申告書類作ってたら、おつむが仕事モードになってしまったのでクールダウンしようと思って図書館にいったら、たまたま手に取ったのが文春でさらにぱらぱらやってたら村上春樹に行き会ってしまったのが運の尽きだ。

飛ばし読みしたので、被害は最小限に食い止めた。

 

50過ぎて、めそめそする奴、自分にうっとりの奴、自分で正義の味方の奴、橋が転んでも、じゃない、橋が転ぶとおおごとだ、箸が転んでも感傷にひたれる奴、二枚目意識だがツラは村の青年団の奴、要するに村上春樹みたいな奴、とは★◎したくない。

この★◎には、およそヒトの行いうる営為全般がはいる。

 

こいつは、また、「さだまさし」のペンネームで岩波図書に連載したり、筆まめではある。

 

村上から芋づる式にひっぱれる輩は、ジョンウィリアムスだ。

誰が書いてもみなおなじ。

 

おやじのことを書いているのだが、おやじを書けば普通の男の子は、つい、つい、湿っぽくなる。自分の一部と向き合うみたいに、どうしてもなる。

おれもそうだもん。

 

それをそのままじくじく書いてどうするよ。

村上の凡庸さを、そろそろみんな気づいてもいいんじゃないか。

 

 

悔しかったら、えーと、そうだな、おれみたいに、啓発舎主宰みたいに、かいてみろよ。

やーい。

 

25分ですんだ。

 

旦那はいけない私は手傷

心温まる話題がほしい心境って誰にもありますね。

そんなときにおあつらえ向きなのが日経から飛び込んできた。

ゴーン元会長の妻インタビュー「事件と無関係」

 

日産自動車元会長、カルロス・ゴーン被告(65)の特別背任事件で、元会長の妻、キャロルさんが8日、日本経済新聞の電話インタビューに応じ、「私は事件とは一切無関係」と主張して自身の関与を否定した。元会長に妻との接触を禁止した保釈条件について「まるで重い懲罰だ。人権に反する」と批判し、撤回を求めた。

 

夫を気遣う妻。絵にかいたような美談。

泣ける。

 

で、ふと浮かんだのが、タイトルの一行。

 

神風連のテロで旦那が殺害された際、その場にいた妾が熊本電信局に走り親元に打った電文。

 

「私は手傷」が光る。

 

キャロルさんのご発言も、眼目は以下。

「私は一切無関係」

 

「私も無関係」ではなく、「私は無関係」。

私「も」、ではないところが急所だよ。

 

もちろん翻訳で正確なニュアンスが伝わらないこともあるが、「てにをは」は多くを語る、ことの一例としても、好個の文字列だ。

 

 

旦那につくす妻 二題として、併せ味わいたい。

 

もちろん、ここでいう「旦那」は、旦那という言葉が一般に意味する「金づる」、などではなく、愛だの恋だのを捧げる相手の意。勿論。

どうか、キャロルとカルロスの夫婦愛物語が、たとえ「旦那」カルロスが身ぐるみ剥がれても、末永く続きますよう。

 

というわけで、主宰も心底温まった。

 

人間っていいな。

 

クローズアップ現代+「アーバン・イノシシ物語▽ワシらが人を襲うワケ▽都会へ

 

アーバン・イノシシ。

 

アーバン、という都会の響きと、イノシシ、の野趣。

外来語と純粋日本語の、湯桶読み、ですか、重箱読み、でしょうか、の微妙なせめぎあい。

なにより、語感。

これが、アーバン・アライグマでも、アーバン・スズメバチでも、すわりが、よろしくない。

同じ四文字ならいいか、アーバン・ムクドリ、アーバン・ミツバチも、「アーバン」の前ふりに対する「受け」が弱い。

 

やはり、ここは、「いのしし」、と、張る、のが正しい。

 

NHKは、ときどき、こういうポテンヒットをする。

 

番組は今夜だが、特に見るつもりはない。